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「昭和元禄落語心中」における人間の業の肯定 

落語家 故 立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」と語っている。
人間の弱い部分を認めるのが落語であるという意味で談志はこの言葉を使う。

昭和元禄落語心中を見ていると、
八代目八雲を見ているとこの言葉を思い出さずにはいられない。

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「死にたい」という気持ちが強いながらも
それ以上に「生きたい」という気持ちが勝る八雲。

死と生の狭間でもがき苦しむ八雲の姿に、人間の弱さを垣間見る。

思うに一番深い人間の業とは
「生きよう」とすることなのかもしれない。

立川談志は次のようにも言う。

「死ねないから生きているんだ。
死ねるやつはみな自殺している。
死ねないから人間は生き甲斐なんてものを探す」

まさに今回9話の八雲の姿そのものだろう。
自殺しても死ねない。死ねないから生きている。

「昭和元禄落語心中」は、
落語を通して人間の業と生と死を描いている点が面白いのだと思う。
特に八雲・二代目助六・みよ吉…小夏
みんな大なり小なり人間の業を抱えたキャラを描いている。

もっといえば彼ら彼女達の生き様こそが落語的なのだろう。

アニメの凄さはこうした業を持つキャラを迫真性を持って描いている。
うまくは言えないが、演出が切れているのだ。
特に八雲に関しては、八雲の全てを抉るように描かれているようにも思う。
毎回、見入ってしまう展開の連続。凄いアニメに仕上がっていると思う。

特に2期は9話中7話で監督の畠山さんが絵コンテを切っており
畠山さんが大車輪の活躍でアニメとして物語を紡いでいるのがわかる。
 
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[ 2017/03/04 19:40 ] 昭和元禄落語心中 | TB(0) | CM(0)
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