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Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け 

昨年「機動戦士Vガンダム」を見返していた。

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一番気になったのが、ファラ・グリフォンの存在の重さ。
理由は、まず後半での劇中の強さだ。

後半でとても強くなったウッソと互角以上に渡り合う強さ。
特にザンネック(ザンネックキャノン)は凶悪だった。

ファラが戦死するキッカケになった
マーベットのお腹の赤ちゃんの存在に気を取られなければ、
逆にウッソはファラにやられていた可能性がある。

ファラとカテジナの強さを比べてみる。
カテジナはシュラク隊の面々は葬っているが、
ウッソとの真正面の対決ではファラより強さを示せていない印象を持つ。

カテジナはネネカ隊やコックピットから降りてウッソを直接刺殺する奇襲で、
ウッソに優位に立とうとするが、MS戦においてはファラの強さに軍配が上がる。


次にこれがより大切だが、ファラはVガンダムを象徴するキャラであること。
特にファラが死ぬ47話「女たちの戦場」のファラとウッソの会話が、
Vガンダムで描きたかった事の一つではないかと思う。

(以下、重要な会話の抜粋)
(マーベットの胎児の鼓動を感じ取り)
ファラ「ひとつの命の中に、ふたつの命があるというのか。何故だ」

ファラ「首を落とせば、命も消える。そうすれば、命の輝きに脅かされる事も無い」
ウッソ「ギロチンの鈴など捨てれば楽になるんですよ。ファラさん」
ウッソ「あなたは女性でなりすぎたんです。」
ファラ「あれも光。命も光。ギロチンの刃も光る。」
(以上)

死刑執行人の家系に生まれ、ギロチンを背負わされたファラ。
死神ファラにとって、対としての生・命の光(胎児)と
命を奪うギロチンの光りが一緒であること。
死も生も光るものであることをファラは感じ取る。

ここで富野監督のVガンダムについてのインタビューを引用してみる。

一番初期の企画書を書いた段階では、ギロチンだけだったんですよ。
ギロチンさえあれば、戦車を出す必要もなければ、タイヤも出す必要もありません。
『ガンダムワールドの中でのギロチン』というコンセプトだけで、筋は一本シャーッと通っています。


ザンスカールと、ギロチンと、ファラがいてくれたら、僕には十分でした。


(出典:それがVガンダムだ ササキバラゴウ)

富野監督のVガンダムの初期コンセプトでは
ギロチンを重要なモチーフとしてVガンダムを描く構想があり。
このギロチンのモチーフを体現するキャラとしてファラを考えた。

ギロチンを通して何を描きたかったのか。
おそらく宇宙世紀の宇宙に人が住む高度に進んだ時代にあって
前時代のギロチンという徹底的に死を突きつける道具を
人々が見せつけられたら宇宙世紀の人々はどう感じるのか。

結局、時代は進んでも人は生と死に対して変わらないのではないか、
それでも次代へ引き継いで人はより進んでいくみたいな話を
ギロチンを通して、宇宙世紀時代の人の命と生と死を描きたかったと私は推察する。


ただギロチンがモチーフとして目立つのは、
ウッソ達が宇宙に上がるまでの序盤まで。
ファラは15話で物語から一度退場。再登場は43話。
一方でファラが登場しない間にカテジナはパイロットになり、ファラより目立ってくる。

こうシリーズ構成から見ると、初期案のギロチンのテーマは後退して
その埋め合わせとしてカテジナが台頭したようにも思える。
なぜ後退したのか。
おそらく初期構想案通りにギロチンで物語を展開しても
実際に物語を進めたら、期待に反して物語が弾まなかったと判断したのではないか。
だからファラを一端は退場させたのかもしれない。

初期案ではより重要な位置づけであっただろうファラ。
見返してカテジナとは別の角度で
Vガンダムの根っこを掴んでいるキャラとしてファラはいるという確信を得た。
 
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[ 2019/02/19 22:35 ] 富野由悠季 | TB(0) | CM(0)
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