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元気の加速―劇場版Gレコ第3部の到達点 

ガンダム Gのレコンギスタ第3部を鑑賞。

以前に「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括という記事の中で
私はTV版Gレコを富野由悠季の「科学技術と社会経済の視点から見た世界に対する研究論文」
と総評していた。

TV版はTV版の研究論文的、つまり世界観の提示とテーマを優先した仕上がりから
映画版はキャラ手動のアニメ(映画)にランディングしている印象を受ける。
場面ごとのキャラの芝居から生まれる楽しさ・元気を積み重ねる作劇を徹底。

畳み掛けるセリフと芝居。
キャラが喋ればフォローしたいカメラワークの連続。
3部ではドレッド軍やレイハントン家ゆかりの人々が登場し
フィルムの仕上がりが2部以上にわちゃわちゃしている。

大筋ではTV版と同じ物語展開でも、映画版は違う手触りで見られる。
キャラ達の元気な挙動、生き方に悲惨さや鬱屈さが感じられず、
戦闘でも目的達成のため生き抜くに生きるキャラ達が描かれているからだ。

(3部の戦闘シーンは濃密でかつ尺も長いために
逆シャア以来のMS戦闘アニメ的な感じにも見えた
MS戦闘をやらせたら富野由悠季が最高だと改めて思った)

「元気が加速している」仕上がりに改めて驚嘆するとともに
スタッフの頑張りが伝わってくるフィルムになっている。

40年前は「死」にダイブするイデオンを作っていたが
今のGレコは「生」にダイブする感じだ。
死も生も表裏一体で、ベクトルが違うだけで同じかもしれない。

ただ、いずれ人は死ぬのだから死を目指すのではなく、
死ぬまで元気に加速してベルり達のよう真実を求め次々と新しい世界を旅し
好きな人がお姉さんだと知りショックを受けても
生きようというメッセージのように思える。

元気でいられるから
元気でいられるから
手を挙げて やってみる 
前を向いて やってみる
(Gの閃光 作詞:井荻麟)


元気の話とは一転。
TV版Gレコから7年。その間に高畑勲が亡くなった。
他の富野監督と同時代の商業TVアニメ草創期の方々の仕事が目につきにくくなっている。
宮崎監督の「君たちはどう生きるか」ぐらいではないか。
TVアニメ草創期の方々の作品で育った身として寂しい限りではある。
だからこそ富野監督がGレコを作っていることに改めてエールを送りたい。
 
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[ 2021/07/24 17:38 ] Gのレコンギスタ | TB(0) | CM(0)
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