まだ富野由悠季作品を見られる。嬉しい。
というのが率直な感想だ。
世の中は目まぐるしく動く中で、
自分がファンになって結構な時間が経つのに
富野は富野作品を作り続ける。
それだけでもう充分だ。
その上で面白いものを見せてくれるから
よりGレコを見られて嬉しくなる。
毎度毎度フィルムではなぜこうも元気なのか。
アクションシーンはアイディアと工夫に満ち溢れているのか。
それも手描きのロボットアニメでそれが見られる。
私にとっての数少ないロマンを感じるものの一つとして
富野作品に出会えるは嬉しいのだ。
(GレコⅣは新規シーンがとても多くて尚更)
-監督がGレコに込めた宇宙開発反対について-
富野監督がGレコを語るときに
GレコはGレコ世界のような宇宙開発など
現実ではできない事をメッセージとして込めている発言を度々している。
このことは言われるまで気づけなかった。
私としてはGレコがフィクションとしてよくできているように見えるから
現実でできるできない以前に、その世界に入れ込んで見てしまう。
だからよくできて入れ込めるフィクションを
「現実ではできない」ものとして受け取れというのが
監督側の言葉なしでは難しいものだと感じてしまった。
「宇宙開発反対」と言われ説明されれば真意はわかる。
(フォトンバッテリーとかは現実には難しいとは思う)
提示したものを否定しろ、というのは見方として難しいなぁと思った。
それは提示されたものが答えだと思ってしまいがちだからだ。
このあたりは、アイーダがグシオンに「教えられた」事を鵜呑みに
してしまったのと同じことなのかもしれない。
宇宙開発反対については
子供の頃から与圧服の写真を通してロケットを通して
80歳になっても宇宙をフィクションを通して考え続けている富野監督が
現実の宇宙開発には否定的なスタンスを取るのは、
その意見を聞く価値はあるのかなと思う。
何より今後人類は生き残れるのかという余りにも切実な問題に対して
宇宙開発はどういう意味を持つのか。
Gレコはフィクションを通して今後それを考えさせられる作品となるだろう。
そしてより大事なのはGレコ内に散りばめられたアイディアを通して
今後の問題解決に繋がる、何かを訴えようとしているのが大切であり、
細かな設定や単語の隅々に作品の魅力が繋がっているようにも思える。
- 関連記事
-