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今の宮﨑駿と富野由悠季の対照性 

 宮﨑駿「君たちはどう生きるか」。心境小説的な印象の本作は登場人物に身近なモデル(仕事仲間・家族等)がいると、メディア/鈴木敏夫経由で語られる。観る側もあの登場人物は誰々のような語り口が見られた。
 一方富野由悠季「Gのレコンギスタ」は登場人物のモデルが誰々と言及される語り口は見られなかった。「君生」を通しての鈴木の語り口に違和感を持ちつつ、富野のGレコは登場人物のモデル探しがされなかったと思った。ただ富野も「逆襲のシャア」「ガンダムF91」の頃はシャアとアムロ二人合わせて富野、鉄仮面は富野だと、登場人物=監督自身の視点で語られた印象がある。今の二人のこのモデルを探される違いは何なのだろう。
 私見では二人の着想の出力先がちがうのではないかと思う。宮﨑の君生は自身と周辺(家族・過去の仕事)から着想して登場人物へ落とし込む。富野のGレコは自身の取材等で得た着想を主に世界観(設定・デザイン)に落とし込む。着想の先がキャラクター(宮﨑)か世界観(富野)の違い。これはメディアの出演とも重なり、宮﨑はかつてほど政治問題等をメディアで世界を語る機会は減り、富野はメディアを通してウクライナ戦争やAI等、世界/世界観について語る。共通する部分もあるだろうが、興味の対象が異なるのではないだろうか。

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 内的/私的の宮崎。外的/公的の富野。同年代の二人は対照的である。 
 
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[ 2024/01/02 16:15 ] ニュース | TB(0) | CM(0)
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