ついったーでアニメにおける脚本の在り方について興味深い発言が・・・
>原作に対して演出チームで脚本を起こし、同じメンバーでコンテを起こして演出する方が、
>経済的に合理的だと考えてる。最近とみに感じるのは、圧倒的に面白いオリジナルを除き、
>シリーズ構成や各話脚本なんてのは、たまに原作者さんをゲストで呼んで「物語」を
>成立させた方が質的向上に繋がる。
>事実としてシリーズ構成はプロデューサさんがやれるし(作品によってはプロデューサさんが
>実質的にやっている)、各話の脚本は、金ではなく最低限の時間が許されれば、
>コンテ・演出家でも的確にやれるしやっている。脚本家の必要性がわからん。
>脚本がなくてもコンテは切れる。時間が許すのであれば、好きな場面の作画もできる。
>といった程度の発想は誰にでもできると信じたい。「脚本家」さんに作品の質が左右される
>という考え方は、かなりの程度で非=アニメ的だと思う。
>ゲームや漫画や実写の世界はわからないけれども、テレビアニメの世界で
>「脚本家がどうしても必要だ、もうわれわれのアイディアや思考力は尽き果てた」
>なんて戯れ言を生真面目にのたまう演出家には会ったことがない。
>どうしても優秀な脚本家が必要な作品の需要は確かに存在するけれども、
>現状にあって、すべての作>品のすべての挿話に脚本家が必要であるわけではなく、
>場合によっては「無駄遣い」じゃないか、と考えています。
発言者は現場の人らしい。
例えば宮崎駿は、コンテから先に作業して脚本は後にしているが
それは極端に言えば声優の演技でホンが必要だから作ってるだけだからだろう。
私も安易に使っている時もあるが、脚本家やシリーズ構成って
現場ではどんな位置にいて、どれぐらい影響力を及ぼしているか
良く分かってない事を痛感し、アニメにおける脚本の意味を考えないとと思った。
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ひとつには、あえて脚本家に仕事を振ることで、分業制にして各人の負担を減らしてるというのはあるんじゃないかとは思います。とくに、がっつりストーリーを組む必要のないアニメでは。現場を知らないので適当な推論ですが。
逆に言えば、脚本が軽視されている(?)現状で、しっかりと個性や実力をアピールできている脚本家は評価するべきだし、そういう優秀な人の存在が光るジャンルであるからこそ、アニメに脚本家が関わっているように思います。
いろんなブログを見てて、倉田氏や花田氏のような有名な脚本家の仕事以外、ほとんど脚本に注目しない方が多いように見受けられます。自分は、もう少し各作品における脚本の存在に注目する見方ができるようになればと思っています。