涼宮ハルヒの消失を見てきたました!! まず面白かった+3回泣きました。
全体の感想を箇条書きでまとめると
①原作ファンの期待を裏切らない展開
②内容を全て詰め込み解釈的にも面白い物語
③2時間43分の長時間でも退屈どころか見応え十分な映像
正直そこまでハルヒファンでない私でも非常に楽しめた。
何よりキャラ的に好きな長門は本当に愛らしく描かれ、彼女の挙動を見るだけで満足。
「ハルヒ」シリーズの中でも屈指の出来の「消失」を映画化したのは、製作陣の英断。
映画という時間の流れ方に「消失」は非常にマッチしていたと思う。
良い材料(原作)を良く調理(制作)した好例。
以降、気になった所を各項目でまとめた感想になります。ネタバレもあるので注意。
・原作についてラノベは殆ど読まないタイプのだが、6年ぐらい前に「ラノベを勉強しよう」と思い
教材として「ハルヒ」を選んだ。そして「憂鬱」から「消失」まで読んだ。
所々に隠されたSF的テイストが個人的に性に合った。
そしてTV1期のアニメ化の時には、知ってるラノベ+京アニという事で喜んでいた。
「消失」については、このエピソードでハルヒで語られるテーマは
十分に書ききったような印象を当時受けたぐらい、非常に評価していた。
・原作とアニメの違い最大の違いは原作の方が「世界改変」や「タイムトリップ」といった
SF的要素を重要視しているのに対し、アニメは下でも書いてるが「恋」の話を強調した事。
もう一つ、キョンをより視聴者に共感できるキャラに仕立て上げた事かな。
退屈な世界に不満を持つキョンは今の若者のメンタリティを代弁している気がする。
また杉田の演技力もキョンの魅力を引き出しているのは間違い無い。
・話の中心は「恋」「消失」は長門がキョンを振り向かせたかった話だと解釈している。
長門はキョンが好き(恋的に)だからこそ、世界改変したのだ。
キョンは長門が世界改変してしまった理由を「感情の獲得」と表現していた。
この感情にはSOS団の活動で例えば「楽しい」という感情を獲得したのもあるかもしれない。
しかしメインはキョンへの「想い」「思慕」だろう。
ただキョンは長門の「感情」の奥底まで本当に気づいているのかは疑問点ではある。
また、大人のみくるが高校時代の事を懐かしんでいたが、
どう見てもキョンに対する未練タラタラなニュアンス発言が多く
こちらも相当キョンを意識していたと感じる。
さらに世界改変後の世界ではハルヒと小泉が良い関係でいるように見えた
キョンが嫉妬的な羨望で見ていたり等、高校生的な恋愛感情を各場面毎で
みせる事で、「涼宮ハルヒの消失」という映画が「恋」を扱った
作品である事を強調していた。「恋」という題材を取り扱ったからこそ
ハルヒという作品は原作ファン以外にも広くファンを獲得出来たのだと思う。
・序盤の緊迫感、絶望感世界改変でキョンが一人、違う世界の住人になってしまった前半部分は
緊迫感と絶望感が凄かった。固唾を飲んでしまう展開であり、
これからどう巻き返すのか原作を知ってても、思ってしまうほどだった。
キョンは呆然としていたが、他者と認識や情報が共有されないと、
アイディンティティは保てないのだろう。
・長門消失といえば、長門。世界改変によって力を失った彼女は
無口・無感動なキャラから顔を赤らめ、時には積極的に、非常に感情的なキャラになった。
キョンに好意を隠そうとして、全く隠し切れていない態度は可愛すぎて、悶えてしまう・・・。
いわゆるギャップ萌えだが、世界改変した時にこのような性格設定を己に課したのは
自分がそういう性格になりたかったのだろうか。気になる所である。
・ひたすら歩く、走るキョン映像的に注目したのは、キョンが歩く・走る場面が非常に多かった事だ。
もし歩く・走るシーンをカットすれば、本作の上映時間はかなり短くなったかもしれない。
この歩く・走る場面が多いのは、キョンがある地点からある地点へ移動・場面転換する所で
キョンのモノローグが挟みこまれるからだろう。要はモノローグを語る場面として利用されたと。
またキョンが自然に歩き、走る事で様々な場所へ行く事で、世界の幅を獲得できたと考えておる。
学校やコンビニなどどこも身近に感じられる世界だが、だからこそ共感しやすい。
こんなにアニメで歩く・走るというシーンが多かったアニメ映画は非常に珍しい印象を受けた。
本作はアクション的要素として歩く・走るシーンが使われていたのかも。
歩く・走らせる作画は手間が掛かるし、地味でカタルシスを得にくいのに
こんなに描いてしまう力がある京アニの作画力には脱帽です。
・超現実的な背景もう一つ映像的に注目なのは、現実に限りなく近い背景を多用していた事だ。
町並みやコンビニ、道路といった所は写真に出来る限り近づけるように描かれている。
この現実に見間違えるような背景はもちろん、本作のテーマの一つである
「世界改変」=「世界」について、説得力を持たせるためであある。
背景を我々の住んでる世界に近づける事で、ハルヒみたいな話も実は起こりえるのではと
自然に刷り込ませる事で、本作のリアリティは獲得されている。
クラナドやけいおんも含めて、京アニは背景をリアルにする傾向が非常に強い。
・京都アニメーションパンフ買って、スタッフチェックしたが、京アニ総動員だった。
レイアウトが頑張ってると思って見ていたが、レイアウト監修に木上益治だったので納得。
あと超総作画監督って役職、総作画監督より上の役職か(担当は池田晶子)。
あくまで映像的にはTVの延長線上で作る事で見やすさを獲得した印象。
作画的には学校内で生徒達モブを動かしていたのが印象的だった。
しかしパンフに書いてあったが、全2000カットですか・・・スケジュールがあったとはいえ凄い。
京アニの総決算的な作品になるだろうし、会社の財産になるだろう。
今後の方向性が楽しみではある。
・最後に当時一期のハルヒを見て思ったのは、内容云々よりアニメファンが質的に変容した事実だ。
youtube等でEDのダンスを披露するなど、ファンがより能動的になった事を印象付けた。
そして1期から4年近くが過ぎ、さらに4年前とは違う価値観が次々と出ている印象だ。
でも今の違う価値観もハルヒが先鞭をつけたのかもしれない。
キョンが傍観者から世界に積極的に関わっていくと決心した「消失」。
私が本作に感動したのは、キョンのように行動しなければいけないと感じたからだろう。
それは自分が生きる世界(会社・学校等々)に積極的に関わる必要性といった
普遍的なメッセージを「消失」から受け取れたからであろう。
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